徳川家康、織田信長や豊臣秀吉もますかけ線だった!?
徳川家康の「ますかけ線」は、単なる噂や都市伝説ではなく、歴史的な遺物として現代にもはっきりと証拠が残っているのが面白いところですよね。
久能山東照宮や日光東照宮には、家康が38歳の頃に取ったとされる「手形」が残されているのですが、それを見ると手のひらを真横にブチ抜く見事なますかけ線がバッチリ刻まれています。
家康の生涯を振り返ると、まさにこの「ますかけ線」が持つパワー、そしてコラムでご紹介した「縄文的な生命力」を体現しているように思えてなりません。
絶体絶命から生き残る「驚異のしぶとさ」
家康といえば「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」のイメージ通り、忍耐の人という印象が強いですが、その人生は波乱万丈、一歩間違えれば命を落としていた絶体絶命のピンチの連続でした。
- 幼少期から青年期にかけての、長い長い「人質生活」
- 武田信玄に完膚なきまでに叩きのめされた「三方ヶ原の戦い」
- 本能寺の変の直後、命からがら敵中を突破した「神君伊賀越え」
並の人間なら心が折れてしまうような逆境を何度もくぐり抜け、最終的に70代まで生きて天下を統一したあの「恐ろしいほどのしぶとさ」と「生き残る野生の勘」。これこそまさに、過酷な大自然の中で命を繋いできた縄文人のタフなDNAの真骨頂と言えるのではないでしょうか。
ちなみに、織田信長や豊臣秀吉もますかけ線だったという説があり、戦国の三英傑全員がこの相を持っていたとも言われています。混沌とした時代を切り拓き、生き残るためには、理屈(左脳)を超えた野生のエネルギー(右脳・原始の記憶)が必要不可欠だったのかもしれません。
歴史上の偉大な天下人と、自分(あるいは身近な人)の手のひらが同じ線で繋がっているかも……と思うと、なんだかものすごいロマンを感じてしまいますよね!
